守光院

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[守光院の歴史] 

寺内部  

正式な名称は護国山守光院です。

当時の開基は冶承四年(1180年)源頼朝が伊豆に挙兵したとき、その軍勢を集めるため当地木崎庄太田窪に要害を構えた佐々木三郎守綱です。佐々木三郎守綱は宇治川合戦のとき先陣争いで有名な佐々木四郎高綱の兄に当たります。

守綱は当地に留まること五ヶ月、引揚げるに当たり小堂宇を建立し、持仏の薬師瑠璃光如来と家臣の阿弥陀如来を安置し、寺号を護国山守綱院と号しました。

開闢後四世紀を経た天正年間に至り、小田原の北篠氏の家臣下総国の国主千葉介胤がこの木崎庄を領し、家臣の木内右衛門にこの地に陣屋を構えて統治せしめました。木内氏は当時荒廃している寺が佐々木三郎守綱が建立した由緒ある寺であることを知り寺僧と協力してその再興を計りました。

開山は大雲文竜(1545-1617)であります。文竜は足立郡の生まれで、現在のさいたま市大崎の曹洞宗国昌寺にて出家し、その第二世となった高僧です。書道にも秀で後陽成天皇、後水尾天皇のお召しに応じ宮中に入り大字乃歌書を書き、その功により紫衣と仏日金蓮禅師号を贈られております。

慶安二年(1649年)徳川幕府から守綱院領として十石九斗乃官租を免ずるとの御朱印状を賜わりました。守綱院を守光院と改めたのは、慶安年間将軍の諱の文字を憚かっての故であると伝えられています。

現在の本堂は慶応元年に建立され、当時は八間半四面でありましたが、その後七間半四面に改築されました。

近年では、昭和三十一年第三十世住職木村弘宗大和尚の発願によって、本堂乃庫裏等の大改修を行ない、併せて先の大戦中、供出した梵鐘を新鋳し、昭和三十三年四月十三日落慶式と梵鐘撞初式を行ないました。

続いて第三十一世木村英夫和尚の勧進により本堂内陣の大改修を行ない須弥壇も新調し、また、客殿も新築し、今日の荘厳な美観を整えました。

これら近年の大改修には総代の皆様のご協力と壇信徒の皆様のご理解による多大な寄付金によって行なわれたことは言うまでもありません。

当寺の宝物 本尊 薬師如来像 (さいたま市重要文化財指定)

   
鐘